今年はあきらめようと思ったこと

趣味を聞かれることがあったとして、DVD鑑賞と言う答えを見ることがこの頃多い気がする。若い社員の一人暮らしの部屋を訪ねても、狭い部屋ながら大きな薄型テレビが置かれているし、環境が整ったと言うことが大きな要素なのだろうと思う。僕自身、このブログに何度も書いているとおり、「24」をはじめ「メンタリスト」「Law and Order」「刑事コロンボ」そのほか、ケーブルテレビで放送される映画を沢山見るようになった。
 しかし、何しろ時間が掛かってしまう。TVだったら、見逃して残念で終わってしまうが、録画は残るのでつい見てしまうし、面白ければまた予約してしまう。無理だ。全部見るのはとても無理だ。
 そして、これは、映画だけではなくて、音楽や、そのほかエンターテインメント関係のコンテンツ全般に言えることだ。通信手段の発達によってとにかくアクセスすることが楽になった。YouTubeでエリッククラプトンの名演を次々に視聴してもタダ。ギター好きならそこから検索していくだけで日が暮れてしまうだろう。
 しかし、そのような情報を受容する側の私の容量、何より持ち時間は限られている。あれこれ手を出して確かに楽しいのだが、しかし見切れないのである。明らかにオーバーフローしている。時間的にも、受容能力的にも、心理的にも。
 これを解決するためにはどうしたら良いか。
 やはり、情報の受容を絞ることが一番と言うことになるのだろう。やりたいこと、やらねばならないことのための時間を確保して、そのあとで楽しみに時間を割くという、当たり前の原則にたどり着く。しかし、その当たり前を適用するためのフィールドが随分拡がり茫洋としている、世の中の動きも混沌としているように見えるから、つい、ただばたばたしているだけなのに、頭を使っているわけではないのに、新しくて立派なことをしているような雰囲気に飲まれてしまう。
いかんな。と 新春らしく反省している私なのでありました。
大事なことは何か、別に哲学的にではなくて、実際的に考えてみるのもわるくない、むしろ正月らしいな、とそんなことを考えた次第。