経済的統計数値に反映されない人間の生活もある

12/8,9の欧州首脳会議がユーロ問題の行く末を占うヤマなんだ、と言う報道が盛んに行われている。確かにリーマンを超えるリセッションに陥れば零細企業はつぶれ、僕のような特別な資産のない労働者はひどい目に遭うだろう。と同時に、ふと思ったのは、でも、ヨーロッパでも、多くの人は食っていくことは、できるんじゃないの、と言うこと。豊かな生活、アメリカ西海岸みたいな生活はできないでしょうよ。でも質素に、庭でも耕して、人のお手伝いなんかしながら、生きていくことは、できるのではないの。
贅沢を言えない、美味しいもの食べられない、とかいろいろあるけどさ。
ロシアの市民が経済がダメでもやせた人がいないのは、ほとんどの人が自家栽培の畑を持っているのだ、と言う話を亡くなったロシア語通訳者、米原真理さんの本で読んだことがあるけれど、そういう数値は経済統計には入っていないだろうし、ギリシャだってそもそも国家が国の経済全体を把握してないのだから、裏経済がとても大きいわけで。
と言うわけで、新聞雑誌に書かれていることは無視はできないけれど、ふふん、と思ってしまうところもある訳なのであります。
 もっと言いつのりたい論点、そもそも、経済的価値だけで把握できない人間の生活の価値、人間の価値、人生の価値、と言うものもあるでしょ?と言うことについては、またいつか書きたい。